ローリングストーン誌選出「最も偉大なドラマー100人」
米音楽雑誌「ローリングストーン誌」が選ぶ「歴史上、最も偉大なドラマー100人」。 世界のドラマーの歴代ランキングになります。 正式名は「グレイテスト・ドラマー・オールタイム(100 Greatest Drummers)」。2016年に選出・発表されました。 1位はレッド・ツェッペリンのジョン・ボーナム、2位はザ・フーのキース・ムーンです。(MOVEミュージック)
(※ローリングストーン誌が選ぶ「グレイテスト」シリーズ: アーティスト→ | 曲→ | アルバム→ | シンガー→ | ギタリスト→ | 過小評価ギタリスト→) | ドラマー↓
1位~10位
順位 | ドラマー名 | 活動歴、特徴など |
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1 | ジョン・ボーナム (John Bonham) 【動画】 動画「We're Gonna Groove」(ライブ)→ 動画「Moby Dick」のドラムソロ(ライブ)→ 動画「Fool In The Rain」のドラム音→ 動画「Houses of the Holy」→ 動画「When the Levee Breaks」→ 動画「Fool in the Rain」→ |
史上最強のハードロックバンドと評されるレッド・ツェッペリンのドラマー。
聴き手に高揚感をもたらすドラミングの達人。 ド迫力のグルーヴ感あふれる音色で、 世界中の若者を陶酔させた。 1970年代を通してロック界の頂点に立ち続けたツェッペリンのパワフルなサウンドを支えた。 「ハードロック・ドラミング」のパイオニア。 1980年、32歳の若さで亡くなる。 酒を大量に飲んで寝ているときに、 嘔吐物を肺に詰まらせたのが原因だった。 残されたツェッペリンのメンバーは「ボーナムなしにバンドの継続は不可能」と判断し、 解散した。 愛称は「ボンゾ」。 |
2 | キース・ムーン (Keith Moon) 【動画】 動画(ライブ、1977年)「無法の世界」→ 動画(ライブ、1967年)「マイ・ジェネレーション」→ 動画(PV)→ |
イギリスのロックバンド、ザ・フーのドラマー。
型破りな演奏で世界のロックファンを熱狂させた。 破天荒で豪放なところが最大の魅力とされる。「リズムが狂おうが突っかかろうが、お構いなしに何が何でも叩きまくるリード・ドラム的プレイ」((ドラマー立志風雲録))によって、 フーの音楽を引っ張った。 スティックを投げてキャッチする曲芸や、楽器をぶち壊すといったパフォーマンでも聴衆を喜ばせた。 1978年9月、アルコールと薬物の過剰摂取により、32歳の若さで亡くなった。 |
3 | ジンジャー・ベイカー (Ginger Baker) 【動画】 動画「クロスロード」(ライブ)→ |
1960年代の伝説のバンド、クリームのドラマー。
エリック・クラプトン、ジャック・ブルースとともに、
三位一体のサウンドを創出。
即興(アドリブ)を取り入れた演奏形態で衝撃を与えた。
バンドとしてはわずか3年の活動期間だったが、ロック史に絶大な影響を与えた。 ベイカー自身はジャズ出身であり、スイング感に満ちている。 |
4 | ニール・パート (Neil Peart) 【動画】 公式動画「トム・ソーヤー」→ 公式動画「ライムライト」→ ソロ演奏(ライブ)→ ソロ演奏(スタジオ、2008年)→ ソロ演奏(ジャズライブ、1991年)→ |
カナダが生んだスーパーバンド、ラッシュ(Rush)のドラマー。
熟度の高いドラム技術が絶賛されている。
緻密で正確。さらに力強くも繊細なプレイが特徴。
360度囲まれた巨大なドラムセットを使いこなす。 コンサートでのソロ演奏のすごさも有名。 演奏のスキルはもとより、 優れた構成力で聴く側を楽しませる。 ラッシュのライブ盤だけでなく、スタジオアルバムでも、ドラムソロが入っていることが多い。 作詞家としても高い技術を持ち、ラッシュの曲の大半で作詞を担当した。 2018年に引退表明をするまで、40年以上にわたり、ほぼラッシュ一筋で活動し続けた。 職人肌的で、ドラムの発展に真摯に取り組む姿勢も、多くのドラマーから共感された。 |
5 | ハル・ブレイン (Hal Blaine) 【動画】 動画「ドラムス!ドラムス!ア・ゴー・ゴー」(1965年)→ |
アメリカのスタジオ・ミュージシャン。
究極の職人ドラマーである。
「静と動」「明と暗」を叩き分けるのを得意とする。
歴史に残る数々の名曲において、ドラムを担当した。
一例を挙げると以下の通り。
とりわけ1960年代と1970年代に絶頂期を迎えた。 ブレインが参加した曲で全米1位になったのは、約40曲もある 全米トップ10となると、約150曲に上る。 グラミー賞の最高賞である「最優秀レコード賞」を、 1967年度から6年連続で受賞するという偉業も達成した。 |
6 | クライド・スタブルフィールドとジョン・ジャボ・スタークス (Clyde Stubblefield and John "Jabo" Starks) |
全盛期のジェームズ・ブラウンのバンドでドラマーを務めた2人がそろってランクインした。
2人とも黒人。「ファンク音楽のドラムス」の先駆者として高く評価されている。
また、世界史上最もサンプリングされたドラマーとされている。
クライド・スタブルフィールドは、1960年代後半のジェームズ・ブラウンのバンドの要だった。 ファンク音楽のドラムスのスタンダードを創った人物とされる。 クライドのドラム演奏は、後にヒップホップのアーティストに頻繁にサンプリングされた。 中でも「ファンキー・ドラマー」のドラム音のパターンは、 ランDMC、プリンス、NWA、パブリック・エネミーなどが次々とサンプリングとして採用した。 クライドはこの音の唯一の製作者であったが、名前がクレジットされることはなかった。 一方、ジョン・ジャボ・スタークスは1965年から1976年までジェームズ・ブラウンのドラマーを務めた(このうち1970年まではクライドと2人でドラムスを担当した)。 クライドと同じ、ファンク・ドラミングのオリジネイターである。 ジェイムズ・ブラウンの「セックス・マシーン」などの代表作で大きな役割を担った。 後にLLクールJやケンドリック・ラマーら大勢のミュージシャンがスタークスのドラム音をサンプルとして使った。 |
7 | ジーン・クルーパ (Gene Krupa) 【動画】 動画「Swing Swing Swing」→ 動画:ベン―グッドマン楽団のカーネギーホールでのライブ(1938年)→ |
1909年~1973年。
ジャズ・ドラマー。
20世紀以降のドラムの歴史の源流となった巨頭。
ドラム界の英雄である。
驚異的なスウィング感で、当時の人たちを踊りの渦に巻き込んだ。 卓越したタイム感とテクニック、グルーヴ感は、まさに伝説。 後のダンス音楽の基盤をつくった。 ファンクはもちろん、テクノ、ヒップホップ、クラブ・ミュージックにも大きな影響を与えている。 ショーマン・シップあふれる華やかなプレイで人気を博した。 単なる伴奏者としての地位から、スター演奏者として位置づけられた。 米シカゴ出身。 14歳のころからプロ・ドラマーを志した。 シカゴを中心に様々なバンドで活躍する。 1934年に活動の拠点をニューヨークに移し、ベニー・グッドマン楽団に加入した。 1938年のカーネギー・ホール・コンサートを大成功させ、 その名を世界にとどろかせた。 ベニー・グッドマン楽団から独立し、 自身のグループを結成した。 1952年に初来日した。 日本のジャズ・ブームの火つけ役になった。 1973年に心臓病で亡くなった。64歳だった。 直前まで現役で活動した。 |
8 | ミッチ・ミッチェル (Mitch Mitchell) |
若いころからスタジオでもライブでも卓越した技術を見せた。 ジョージ―・フェイムのブルー・フレイムズなど人気バンドに所属した。 その後、アメリカから渡ってきたばかりのジミ・ヘンドリクスと出会う。 |
9 | アル・ジャクソン・ジュニア (Al Jackson Jr.) 【動画】 動画「GREEN ONIONS」→ 動画「Time Is Tight」→ |
1960年代に大成功したレコード会社「スタックス・レコード」の専属バンド「ブッカーT&ザ・MGズ」のドラマー。
大物ソウル歌手オーティス・レディングや伝説のギタリスト、アルバート・キングらのバックで活躍。
一度聞いただけで分かるような傑作バックビートを多く生みだした。 手数に頼らず、 最小限の音数で曲を輝かせる。 そのニュアンスの豊かさは、 後続のドラマーたちに多大な影響を与えたとされる。「人間タイマー」(The Human Timekeeper)という異名を持った。 1970年代には作曲家やプロデューサーとしても大きな成功を収めた。 アル・グリーンの名曲「レッツ・ステイ・トゲザー」の作曲家の一人でもあり、 この曲でも見事なバチさばきを見せた。 1975年に自宅で銃殺された。 39歳という若さだった。 |
10 | スチュワート・コープランド (Stewart Copeland) |
1970年代後半から1980年代前半に大活躍した3人組の英バンド、ポリスのドラマー。 ボーカル兼ベースのスティングらとともに、 革新的なサウンドを生み出した。 ユニークで斬新な演奏スタイルに挑んだ。 バス・ドラムとハイハットによってグルーヴ感のある8ビートを叩き出した。 |
11位~20位
順位 | ドラマー名 | 活動歴、特徴など |
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11 | ベニー・ベンジャミン (Benny Benjamin) 動画「Heaven must have sent you」(1966年)→ |
モータウンを代表するR&Bドラマー。1960年代の黒人音楽の大成功を陰で支えたバック・ミュージシャン。
モータウンといえば、ダイアナ・ロス&シュープリームス、テンプテーションズ、スティーヴィ・ワンダー、マーヴィン・ゲイ、スモーキー・ロビンスン&ザ・ミラクルズ、マーサ&ザ・ヴァンデラス、ジャクソン・ファイヴ…。 キリがない。とにかく大変なアーティストがそろっていたレーベルである。 特に黒人音楽に詳しくなくとも、例えばテンプテーションズの「マイ・ガール」など、必ずどこかで耳にしたことがあるだろう。マイ・ガールは1965年にポップ・チャート一位に輝いたものだが、モータウンからは、そのように、従来の黒人音楽の枠を軽々と打ち砕く大ヒットが次々に生まれたのだ。 その土台となる音を作り続けたのが、十数人からなる専属スタジオ・ミュージシャンたちだ。通称「ファンク・ブラザーズ」と呼ばれた。 ベニー・ベンジャミンはこの一流プロ軍団でドラムを担当していた。うきうきと強く跳ねるリズムで、ソウルミュージックの世界的な流行に貢献した。 ファンク・ブラザーズには、ほかにキーボードのアール・ヴァン・ダイクス、ベースのジェイムズ・ジェマースンなどがいる。彼らはあくまで影の存在であり、1970年代に入るまで、その名前がアルバムにクレジットされることもなかった。 |
12 | チャーリー・ワッツ (Charlie Watts) 動画「Jumpin' Jack Flash」ライブ→ 動画「Monkey Man」ライブ→ 動画「Honky Tonk Women」のドラム音→ |
ローリング・ストーンズの名ドラマー。
ミック・ジャガーやキース・リチャーズの派手なパフォーマンの背後で黙々とドラムを叩き続けた。
1963年、デビュー前のストーンズに、初代ドラマーとして加入した。 著名な音楽ライターの内田正樹氏は、週刊誌「サンデー毎日」の連載「恋する音楽」2017年5月28日号において、 次のように評価した。 「今日まで続くストーンズ特有のスイング(揺らぎ)するビートは、元々スイングジャズのドラマーだったチャーリーのプレイによるところが大きい。レギュラーグリップという古風なスティックの握り方でドラムを叩(たた)き、左手でスネアを叩く時はハイハットを止める。このスタイルこそがストーンズの特異なグルーヴ(ノリ)の礎なのだ」 2021年8月に亡くなった。享年80歳。 |
13 | D・J・フォンタナ (D.J. Fontana) 動画「キャルフーンジャズバンドでの演奏」(2015年)→ |
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14 | リンゴ・スター (Ringo Starr) |
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15 | バディ・リッチ (Buddy Rich) |
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16 | ビル・ブルーフォード (Bill Bruford) |
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17 | テリー・ボジオ (Terry Bozzio) |
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18 | ジョセフ・ジガブー・モデリステ (Joseph "Zigaboo" Modeliste) |
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19 | トニー・ウィリアムス (Tony Williams) |
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20 | バーナード・パーディ (Bernard Purdie) |